他都市と本質的には変わらないと思いますが、
広島の場合は、駅前から復興しています。

昭和30年代駅前に「高島易断」がありました。
高い値段を取っていましたが、中身は??でした。

広島は川の街ですが、駅前の京橋川に係留してた船で
「観相」を見るおじさんがいました。
立ったまま、全体を見て、即鑑定する方法で、印象判断です。
しばらくは、船上でやっていましたが、陸に上がって大きい看板を挙げていました。
最近「観相」で見る者はいません。客も来ないと思います。

商店街の中心は、本通リですが、40年代以降、身体障害のあるおじさんがスクーターを
利用して台を作り占っていましたが、手相だったか、易だったかは覚えていません。
易学関連の本を読んでいたと聞いたので易だったかもしれません。
銀行の前で「開運表札」を売ってたおじさんに矛盾点を指摘すると無言でした。

チラシを配り駅前の旅館を借り流れ者の占い師が鑑定してた時期もあります。
主に姓名判断、家相でした。

ネットの時代に入るまでは、電話帳広告が主流でしたので自宅やマンションの一室が
鑑定場所です。このころは、噂、口コミが主でした。
どこだったか、守護霊を見るというところがありました。
子供のころ見た風景を描くから、それを財布に入れておきなさいというので
大事に財布に入れておきました。守護霊は、おばさんだと言っていました。

このころまでは人相や手相、易、姓名判断、高島易断の時代す。
後に広島出身の手相師がHPで手相のページを書いていましたが、
教えようとしても習う者が少なくて鑑定依頼ばかりだと書いていました。
このページもパソコン修理に出したら業者が勝手に「お気に入り」を削除してわから
なくなりました。

当時、天満屋百貨店があるころ角で占ってる女性占い師がいました。
この占いは役に立ちました。
50年代に三越百貨店でコンピューター占いをしていましたが役に立ちませんでした。
そのあと何代か継いだ者が今もやっていますが対面です。

少し街はずれで、早朝、自宅で占いか何かわからない方法で占う?男性がいました。
出勤前のひと儲けでしょう。大根おろしが体にいいという程度のアドバイスです。
やはり早朝に山の上の神社で占いらしきものがあるというので行った事があります。
どちらも藁をもすがる気持ちの者が待っていました。

ほかにも郊外の神社で生まれ年だけ聞いて、非常に簡単にお告げをして
拝んでくれる神主もいましたが、依頼する方は、こういう事にすがることで
不安を取り除いていました。

高度成長期は、印相でハンコを売るのが流行しましたが、インチキが問題になり衰退しました。
今、印相は下火ですが、雨の日も並んで待っている所もありです、ごく最近は知りません。

東京で「○○の母」で売り込んでいた女性が地元に帰り、本通リで
数人で鑑定所をやっていましたが、いつの間にか閉鎖しています。
この、○○に東京で占ってもらった者に鑑定結果を聞いたことがあります。
当たっていれば、広島には帰っていなかったでしょう。
しばらくは、この、ありもしない鑑定所を「占いまとめサイト」が紹介していました。
今、その時の生き残りの占い師が別の場所でやっています。

近くのビルの7階で若い女性が来すぎて困ったから別の場所に移ったという女性占い師もいますが、
この者の言うことはあてになりません。何回もすっぽかされました。今も別のビルで〇階です。

今、商店街では「タロット」と「沖縄の占い」のおばさんが頑張っています。